松槍玲(まつやり れい)(1952-)。旧姓:虎隈玲(とらくま れい)。
虎隈剛柔流の三代目当主家元。現当主。
天草女学園?高校(※1)戦車道部主将として、第32回戦車道全国高校生大会熊本県予選大会で
・「個人戦(重量別)」の「軽量級」優勝
・「個人戦(重量別)」の「無差別級」優勝
・「団体戦」では3位
団体戦の準決勝は黒森峰女学園に敗れる。
ただし黒森峰女学園がドイツ車15両に対し、天草女学園?は軽戦車5両であった。
虎隈玲はパイロットを努め、虎隈剛柔流「飛燕」「空蝉」「雷蝉」「千枚通し」を駆使し1両で10両撃破。
残機数(黒森峰)2ー0(天女)という僅差のスコアで敗戦した。
虎隈玲と愛機「チト」(※2)の色から「白虎の魔女」として恐れられた。
特に黒森峰との団体戦で見せた「雷蝉」は、玲機を取り囲もうとした11両の黒森峰の脚に釘をさすと同時に次々に合計10両もの黒森峰機を撃破した恐ろしい技として、その戦いぶりはまさに「魔女」として恐れられた。
※1...天草女学園?高校は旧熊本女学園高校天草分校。現在は熊本女学園に統合され天草キャンパスがある。
※2...玲専用チトは専用エンジン(三菱V12)にスーパーチャージャーを搭載した独自のエンジンだった。その設計図は玲が三菱社に持ち込み生産されたエンジンで、設計図は知る人ぞ知る「アバディーン?」からの流出した設計図であったと言われている(虎隈謙信が設計図を送り届けた)。
高校卒業後、戦車道は一旦引退し以前から知り合いだった車両整備会社を若くして経営するエンジニアと結婚。
長男(星)と長女(月)、次女(洋)の3人の子に恵まれるが、四代目家元を継承する予定だった長女は不慮の戦車道の事故で早世。
次女も四代目家元継承を固辞したため虎隈本家の娘・雷子の成長を待ちいずれ当主家元の継承をするつもりでいる。
虎隈雷子が継承することになれば、虎隈流当主家元は再び本家虎隈家に戻ることとなる。
虎隈剛柔流の三代目当主家元。現当主。
天草女学園?高校(※1)戦車道部主将として、第32回戦車道全国高校生大会熊本県予選大会で
・「個人戦(重量別)」の「軽量級」優勝
・「個人戦(重量別)」の「無差別級」優勝
・「団体戦」では3位
団体戦の準決勝は黒森峰女学園に敗れる。
ただし黒森峰女学園がドイツ車15両に対し、天草女学園?は軽戦車5両であった。
虎隈玲はパイロットを努め、虎隈剛柔流「飛燕」「空蝉」「雷蝉」「千枚通し」を駆使し1両で10両撃破。
残機数(黒森峰)2ー0(天女)という僅差のスコアで敗戦した。
虎隈玲と愛機「チト」(※2)の色から「白虎の魔女」として恐れられた。
特に黒森峰との団体戦で見せた「雷蝉」は、玲機を取り囲もうとした11両の黒森峰の脚に釘をさすと同時に次々に合計10両もの黒森峰機を撃破した恐ろしい技として、その戦いぶりはまさに「魔女」として恐れられた。
※1...天草女学園?高校は旧熊本女学園高校天草分校。現在は熊本女学園に統合され天草キャンパスがある。
※2...玲専用チトは専用エンジン(三菱V12)にスーパーチャージャーを搭載した独自のエンジンだった。その設計図は玲が三菱社に持ち込み生産されたエンジンで、設計図は知る人ぞ知る「アバディーン?」からの流出した設計図であったと言われている(虎隈謙信が設計図を送り届けた)。
名前 | 松槍玲(まつやりれい) |
---|---|
性別 | 女 |
出身 | 熊本県・熊本市 |
父 | 虎隈謙信(故) |
母 | 虎隈時(虎隈剛柔流二代目家元) |
兄 | 虎隈零蔵、虎隈千蔵 |
夫 | 松槍海(故) |
子 | 松槍星?、松槍月?(故)、松槍洋 |
愛機 | 四式中戦車 チト(Type 4 Chi-To) |
高校卒業後、戦車道は一旦引退し以前から知り合いだった車両整備会社を若くして経営するエンジニアと結婚。
長男(星)と長女(月)、次女(洋)の3人の子に恵まれるが、四代目家元を継承する予定だった長女は不慮の戦車道の事故で早世。
次女も四代目家元継承を固辞したため虎隈本家の娘・雷子の成長を待ちいずれ当主家元の継承をするつもりでいる。
虎隈雷子が継承することになれば、虎隈流当主家元は再び本家虎隈家に戻ることとなる。
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